三陸海岸縦断 乗り鉄の旅を振り返って。(第5回)

おはようございます。カメさんです。 ⇒前回はコチラ。 

東日本大震災からの早期復旧の為に導入されたBRT。乗車するのは今回が2回目。都内や川崎市で走る連節バスではなく、こちらは至って普通の路線バス車両です。

被災区間は一般道に迂回し、それ以外の区間をBRT専用道とすることで速達性&定時性向上を図っています。

2024/11/14(3日目) 盛~陸前高田~気仙沼〜柳津~前谷地~石巻


今日はBRTを乗り継いで宮城へと抜ける予定。それでは出発進行。

停留所が少ないとはいっても基本的に一般道を走行するので、信号があれば停まるし頻繁に右左折もします。鉄道と比べてしまうと乗り心地が良いとは言えないです。

盛~気仙沼~柳津間の総距離99kmの移動手段として、鉄道の代替として、BRTは適当でないと自分は感じています。都市間移動は並行する南三陸道路を活用したバスに任せて遠近分離を図るのが良い気がしますが、どれだけの需要があるかですね。

岩手県で最も津波被害が大きかった陸前高田市。震災後に市街地が北側の高台上へと移されました。市街地から南側は畑が広がっています。

高田松原の最寄りである奇跡の一本松駅にて途中下車。震災後に新設された駅(停留所)の一つです。

道の駅として整備されており、海の幸を堪能できる食堂が併設。腹ごしらえの時間です。

ここでラーメン登場。海藻や貝類たっぷりの磯ラーメン。心に沁みる塩味。

大きめのおにぎりの中にウニがたっぷり。

三陸のお土産も多数取り扱っています。

続いて「高田松原津波復興祈念公園」の中へ。

入口すぐにある「東日本大震災 津波伝承館」。津波被害に関する資料が常設展示されています。

手前には献花台。防潮堤の上まで続く1本道を歩きます。

防潮堤の上から広田湾を見渡します。手前には津波で流されてしまった高田松原の復興に向け、新たに4万本のマツが植樹されています。



公園内には津波により被災した建物が震災遺構として残されています。廃墟を眺めていると悲しい気分になってくる。自分は好きではないな。

津波を耐え抜いて流出を免れた「奇蹟の一本松」は震災復興のシンボルになりました。残念ながら海水によるダメージで枯死してしまいましたが、防腐処理や最先端素材の芯棒による補強が行われ、モニュメントとして保存されることになりました。

やって来たBRTに乗車して先へ向かいます。


宮城県最北端の港町、気仙沼駅に到着しました。観光する間もなく次のBRTへ乗り換えです。

気仙沼線と大船渡線の接続駅。大船渡線の気仙沼~一ノ関駅間は現在も列車が運行中。


南三陸町を走行中。鉄橋やトンネルもBRT専用道として整備されています。途中では一般道上にある病院や役場、道の駅、復興住宅街にも停車。乗客のニーズに合わせた運行経路が設定されています。

沈む夕日を横目に、まだまだバスは走り続ける。


盛駅からバスに揺られること3時間半。柳津駅にようやく到着です。(ちなみに日本最長路線バスは奈良県~和歌山県を走っているらしい。)



キハ110系に乗り換え。やっぱり列車は快適だぁ…。

柳津駅を出た列車は、東北地方最大の流域面積を誇る北上川を渡ります。

終点の前谷地駅で、石巻線の列車にまた乗り換え。


本日の宿泊地である石巻駅にようやく到着です。長旅でした。


釣り客も利用する旅館にて一泊。夕食は煮魚を添えた和定食。明日からは宮城県を回ります。第6回に続きます。



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