中部地方縦断 乗り鉄の旅を振り返って。(第3回)

こんばんは。カメさんです。

名古屋・栄の早朝散歩。久屋大通公園にそびえ立つ名古屋テレビ塔『中部電力 MIRAI TOWER』。かつては日本最古の電波塔として役割を果たしていました。名古屋のシンボルの一つです。

2022/11/7(2日目) 名古屋・栄~清洲~岐阜


名古屋の月曜朝の風景。金山総合駅周辺は人の流れが激しいです。今日も引き続き東海道線に乗車します。


電車を乗り換える際に、名古屋駅ホームで名物のきしめんを堪能します。平べったくてモチモチ食感のうどんはカメさんも好き。

一方でもう一つの名物である味噌煮込みうどんは苦手意識があります。煮込みすぎて柔らかいうどんが昔から大嫌いなので、もし出てきたらどうしようと思い注文しにくい(美味しかった思い出もありますが)。

名古屋から普通電車で2駅。清洲駅で途中下車してみます。通勤通学客の姿はありますが駅前は割と閑散とした感じです。市街地から少し外れているみたい。

今回の目的地はかつての尾張国の中心である『清洲城』。織田信長が居城していたことで知られています。

1560年、駿河、遠江、三河を領地としていた守護大名・今川義元の軍勢が尾張国へと侵攻してきました。知らせを聞いた織田信長は清洲城から数人の家来を連れて馬に乗り出陣します。


途中の『熱田神宮』で戦勝祈願をしていた信長の元に徐々に兵が集まり、既に兵力は1000人を越えていました。


尾張側の砦を陥落させた今川本隊の約5000人が豪雨の中で休息していた『桶狭間』に、2000人まで増えた信長の軍勢が攻撃を仕掛けます。
乱戦の末に今川義元は討ち取られ、織田信長は戦国大名として名を上げて天下統一に向けて進むことになります。

というお話は、水曜どうでしょうマニアファンの間では常識であります。試験に出るよ。

朝9時の開門時間に合わせて、朱色の橋を渡って清洲城内へ。


あれ?門が開かない。月曜休館だと…!? 下調べが少々足りなかったようです。これは迂闊でした。

現在の清洲城は後年になって再建されたもの。橋の手前には清洲城跡の石碑が設置されています。

元来た道を引き返し、先へ進むことにします。

再び東海道線に乗車し、岐阜駅までやって来ました。

駅前には火縄銃を手に持つ、黄金の信長像の姿が。

ちょうど昨日の11/5&6には『ぎふ信長まつり』が開催されていました。
(カメさんもサウナ内で流れていたTV番組を見て知った。)
信長に扮したキムタクが市街地をパレードした模様。観覧は抽選だったらしいですが、どうせなら生で見たかったなー。

乗り鉄旅はここから北へと進路を変えます。次回へ続きます。

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