近畿3府県周遊 乗り鉄の旅を振り返って。(第3回)

おはようございます。カメさんです。 ⇒前回はコチラ

JR天王寺駅。大阪環状線と大和路線、そして阪和線が乗入れする大阪のターミナル駅の一つです。

次の目的地に向かう為、隣の新今宮駅へ向かい南海高野線に乗り換えます。



電車待ちの間に、駅ベンチで551蓬莱の豚まんを頬張ります。これも定番の大阪グルメ。

一年ぶりに帰ってきた和歌山県橋本駅。続いて高野山極楽橋行の電車に乗り継ぎます。


終点まで乗車せず途中下車。関ヶ原の合戦にて敗軍の将となった真田昌幸&真田幸村親子は高野山麓の「九度山」に配流されて蟄居生活を余儀なくされていました。


駅前通りをちょっと散策。

真田親子の蟄居先だと伝わる場所の一つ、善名称院(真田庵)。

父・真田昌幸は10年に渡る蟄居生活の末に病死。蟄居中に幾度も赦免と信州への帰国を求めましたが許されませんでした。上田合戦で徳川軍を幾度も敗北に追い込んだ策士として最後まで恐れられていました。境内には墓所が設置されています。


そして近隣にある「九度山・真田ミュージアム」へと入ってみます。



特に真田父子に関するパネル資料が充実していますね。(詳細は割愛)

困窮を極めた蟄居生活を支える為、伸びにくくて丈夫な平たい紐である真田紐を売っていたと伝えられています。現代でも着物の帯やベルト、ストラップ類に使えます。

豊臣秀頼からの援軍要請を受けた真田幸村は九度山を脱出。大坂城へと入ります。

午前中に散策してきた真田丸を再現したジオラマです。


大坂冬の陣、大坂夏の陣における布陣図です。夏の陣では大坂城の外堀が埋められてしまった為に籠城できずに正面に打って出ることしかできなかったのが分かりますね。

九度山での生活の詳細については資料も少なく謎が多いです。


九度山駅に戻った後は腹ごしらえ。ホームのスタンドで売られていた竃炊きご飯の手作りおむすびをまた駅ベンチで堪能します。

真田の史跡巡りはこれにて一段落。続いては奈良県へと移動していきます。第4回へと続きます。

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