中国地方横断 乗り鉄の旅を振り返って。(第17回)

おはようございます。カメさんです。 ⇒前回はコチラ

新山口駅前から発車する高速バス・スーパーはぎ号に乗車。約70分で日本海側の萩市を結びます。WESTERの山口セントラルパスを提示すれば、追加料金なしで利用可能です。


2023/10/28(6日目) 新山口~萩市内散策~東萩~長門市

萩バスセンターに到着。約20年前に秋吉台の鍾乳洞からバスに乗ってここまで来た思い出があります。ここは当時と何も変わっていない気がする。



長州維新志士ゆかりの地が沢山あって見所多い萩市。前回来た時はレンタサイクルで萩の城下町、東光寺、松陰神社、笠山を散策しました。
しかし今回は次の列車に乗車するまで約2時間しか滞在時間がありません。そこで観光スポットを一つに絞ることに。


バスセンターからほど近い「萩・明倫学舎」の中に入ってみます。

萩藩校・明倫館の敷地内にあった、旧明倫小学校の日本最大級の木造校舎を改修したものです。2階建ての校舎が4棟並んで建っており、内部には資料館やカフェレストラン、ギャラリーやコワーキングスペースなど、観光客や市民の憩いのスペースとなっています。



昭和初期の校舎を歩きながら、教室内に展示された資料を見学します。

江戸時代後期の小学校教育は書物の読み書きや音読が中心。朝6時~夕食まで勉学に励み、出欠管理も厳しく行われていました。試験もあり読み飛ばしや読み間違えが少ないほど高評価だったようです。

幕末の思想家として知られる吉田松陰は明倫館の教師としても活躍しました。

日本各地を旅した際に海外の文化に触れて脅威を感じた松陰は、下田でペリーの黒船に乗り込んで海外の実情をこの目で見ようとしますが、失敗して獄に入れられてしまいます。


獄から出た後、松陰は松下村塾を開いて若手の指導育成に励むようになります。高杉晋作、久坂元瑞、吉田稔麿、伊藤博文…。中には明倫館(学校)と松下村塾(学習塾)の両方で学んでいた人もいたようです。

その後松陰は幕府の外交政策を強く批判した為に安政の大獄によって処刑されてしまいました。しかし彼の教えを継いだ多くの若い弟子達が明治維新への大きな原動力となっていきました。

ここで志士判定おみくじに挑戦。質問に答えると自分に似ている志士が表示されるらしい。結果は…。


山県有朋。慎重で中々動かないが、動けば強い。後には陸軍大将や内閣総理大臣にもなった大器晩成型らしい。

日本の近代化の過程で取り入れられた工芸品の数々。
江戸時代末期に作られた精巧な地球儀

ゼンマイ仕掛けで動くおもちゃ。

そして掛時計

戊辰戦争では高性能な西洋式銃が導入されました。

短い時間でしたが幕末の文化に触れることができました。でももう少しじっくり観光したかったな。

路線バスに乗って東萩駅へ。ここからは山陰本線での移動です。


観光寝台特急 トワイライトエクスプレス 瑞風 も停車します。

鉄道の父・井上勝。萩市出身で、新橋~横浜間に日本初の鉄道を開通させ、その後も日本の鉄道技術の発展に貢献した大人物。また岩手県の荒れ地を開拓して小岩井農場を設立したのもこの人。この人がいなかったら今の日本の鉄道路線網はなかったかも知れない。

(45本目)山陰本線 キハ40系

しかし現在萩市内を走る山陰本線には定期の特急列車はなくローカル線然としています。ホームにやってきた列車は1両編成のキハ40系。さらに西へと向かいます。次の目的地は長門市です。

第18回へ続きます。

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