中国地方横断 乗り鉄の旅を振り返って。(第7回)

おはようございます。カメさんです。 ⇒前回はコチラ。 

2023/10/24(2日目) 岡山~備中高松~総社~倉敷~尾道

吉備線の旅。桃太郎伝説ゆかりの吉備津神社も魅力的だったけどスルーして、今回は備中高松城跡を訪問します。


1582年。織田信長の命で、毛利輝元が支配する中国征伐に赴いた豊臣秀吉。沼地に囲まれた備中高松城を攻めるべく秀吉は水攻めを敢行します。(後年に埼玉・忍城を水攻めしたのは、ここでの成功体験があったからこそ。)

駅から城跡までは徒歩で向かいます。

備中高松城を囲っていた外堀。堀を渡る時だけ舟を浮かべて橋とし(舟橋)、撤退する際には舟を撤去して攻め込まれないようにしていました。

二の丸に到着。城跡は公園として整備されています。

資料館の中に入ってみます。

城の南西に築堤し、城の西に流れる梅雨で増水した足守川の水を堤防内に取り込んで水没させました。水攻めにより高松城は孤立。三の丸も浸水し、二の丸と本丸のみとなったそうです。

秀吉が築いた堤防の高さを示す表示。3kmに渡って7m超の高さの堤防を、12日間の突貫工事で築いたと言われている。重機もない時代にそんなことが本当に可能だったのだろうか?

二の丸から本丸へと向かいます。途中の沼地には蓮が生育されています。

本丸からの景色。正面の一帯は全て水で満たされました。ダイナミックですね。

水攻めにより備中高松城内の士気は低下。そしてほぼ同じ時に京都で本能寺の変が起こり、秀吉も急ぎ撤退する必要に迫られました。(中国大返し)

備中高松城主・清水宗治の切腹と引き換えに5000の城兵の命を助ける条件で和睦が成立します。清水宗治は忠義に厚い武士として今も名を残しています。

駅に戻る途中で周辺を散歩。柿の実が育っています。秋ですね。

日本三大稲荷の一つ、最上(さいじょう)稲荷の大鳥居はすごい大きさですが、これでも日本で4番目らしい。

(18本目)吉備線(桃太郎線) キハ40系

今夜の宿泊地に向けて先を急ぎます。

(19本目)伯備線 213系

山陽と山陰を結ぶ一大幹線である伯備線は全線電化されています。特急やくもや寝台特急サンライズエクスプレスが走る特急街道です。

(20本目)山陽本線 115系

倉敷駅で山陽本線に乗り継ぎ。夕方の通勤通学ラッシュで車内は混雑しています。いよいよ広島県へ突入。

備中高松駅から2時間。広島県で最初に訪問するのは尾道。

瀬戸内海に面した造船ドッグもある港町です。江戸時代には大阪~下関~北海道を結ぶ北前船の寄港地になった商人の町。海あり山あり島あり、自然豊かで明光風靡な土地です。

ホテルへ向かう途中、尾道本通りのアーケード街を通り抜けます。夜18時を回った頃でしたが、閉まっているお店は意外と多かったな。

今晩の食事は迷わず「尾道ラーメン」。まだ開いているお店に駆け込みます。

鶏ガラと小魚のダシをベースに濃い口の醤油を合わせたさっぱりスープ。中細の平打ち麺。具材もチャーシューにネギ、メンマとオーソドックス。


ラーメンのみだと物足りなかったので、そのまま飲み屋に立ち寄ります。

せとうちレモンハイボールで喉を潤します。

そしてツマミに天ぷらを注文。広島と言えばやっぱり牡蠣。さらに山芋と舞茸と蓮根をチョイス。揚げたての天ぷらは塩をかけて食べるに限る。


老舗ホテルにチェックイン。オーシャンビューの部屋を予約しておきました。明日から広島観光を堪能しつつ、さらに西を目指します。次回へ続きます。

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