こんにちは。カメさんです。 ⇒前回はコチラ。
戦国武将・北条氏が5代に渡って居城とした小田原城。北条家の家紋は、丸の中に三角形が三つ並んだ「みつうろこ」と呼びます。この家紋、
以前秩父のお寺で見たことを思い出しました。往時の北条氏の影響力の大きさが窺えます。
小田原駅の東南に位置する小田原城。東海道線の車窓からも見えますね。
今回は南側から本丸に向かいます。橋を渡って二の丸へ。
二の丸の入口にある銅門(あかがねもん)を押し通ります。
歴史見聞館。北条氏を影で支えた「風魔忍者」についての解説やなりきり体験ができます。(今回はスルー)
本丸から見た小田原城天守。江戸時代の元禄地震にて一度倒壊後に再建。明治時代初期に破却・解体され、現在の天守は戦後の1960年に建てられました。明治時代までの天守は大久保神社の付近にあったと言われています。
天守の内部は資料館となっています。中に入ってみましょう。
天守の高さランキング。小田原城は
広島城に次ぐ第7位。そして第1位は
大阪城でした。
天守近くで出土された、徳川家の三つ葉葵門が入った瓦が展示されています。
戦国時代の甲冑や刀剣が展示されています。改めて戦国時代の人は
小ぶりな体格だったのかなと思います。
刀は武士の魂。他の侍と刀がぶつかれば争いが起きます。カメさんも学生時代に剣道部にいたこともあって、左側通行が自然と身についています。
天守の最上階の展望デッキからの景色です。目前に太平洋が広がります。
やはり東海道の宿場町があった小田原駅の東口側の方が発展していますね。
次にカメさんが向かうのは、現在の小田原城天守から南西の方角。小田原城を攻略する為に、豊臣秀吉が築いたと伝わる「石垣山一夜城」に歩いて向かいます。
国道1号線沿いを箱根方面に向かってしばらく歩き、
有料道路であるターンパイク箱根の入口看板が見えたら左折。昔ターンパイクを
軽ターボで走ったけれど、坂やカーブが多くて大変だったなぁ。でも景色は良かったです。
箱根の大涌谷付近の水源から流れる「早川」を橋で渡ります。
西湘バイパス、小田原厚木道路、箱根新道が交差するのがこの付近で、慣れないと迷ってしまいそう。
山登りの前に腹ごしらえ。神奈川といえばサンマーメン(あんかけラーメン)です。
冷たく締めた中華麺の上に熱々の野菜あんかけをたっぷり乗せたスタミナラーメン。この暴力的なビジュアルは食欲がそそります。
お腹一杯になった所で、石垣山の登山開始です。
舗装されているので歩きやすいですが、
鹿野山の時と同じくそこそこの急勾配。その横を自動車が難なく登って通り過ぎます。
登山道の途中には戦国武将のに関する看板が設置されていました。休憩ついでに説明文を読んでいたので、気も紛れて辛くはなかったですね。
石垣山一夜城の入口に到着しました。中は公園として整備されています。
総石垣にて築かれた城は関東では初だったと言われています。形や大きさの異なる石垣を組み合わせる(野面積み)ことで強固な地盤を形成しています。
廃城跡なので往時の建物の面影は残ってないです。二の丸は芝生広場として整備されています。
城の完成後に目前の大木を一斉に切り落としました。すると小田原城に籠城を続けていた北条方からは、突然目の前に強固な城が現われたように見えました。これが一夜城と呼ばれた由縁です。
本丸跡には天守台が残っていましたが、関東大震災の際に倒壊してしまったそうです。
豊臣秀吉の強大な力を見せつけられ、籠城を続けていた北条方も遂に降伏を決意。これによって豊臣秀吉の天下統一は成し遂げられ、戦国時代は終わりを告げました。
歩き疲れたので一夜城の駐車場前にあるカフェで休憩。
甘い物でも食べて元気になりたい。
自分の影を追いながら、石垣山をゆっくりと下山していきます。
一夜城の最寄りであり小田原漁港からも近い、東海道線の早川駅。ここから帰路へ着きました。
蒲鉾や干物などの海産物や果樹園で採れた果物もある。見所も多い小田原を素通りするのは勿体ない。箱根や熱海に向かうついでに途中下車してみるのはどうでしょうか?
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