小田原散策~天下統一の地を歩く~(前編)

おはようございます。カメさんです。 

新橋から東海道線のグリーン車に乗って1時間半。「小田原」へとやって来ました。ここはかつて豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた場所。東海道の難所である箱根峠の手前に位置した宿場町でもあります。戦国無双2をプレイしていて興味が湧いてしまった。

箱根登山鉄道に乗り換えて箱根湯本や強羅、芦ノ湖方面に向かってしまい、小田原は素通りしがち。じっくり散策するのは初めてかも。

戦国時代に関東一帯を支配していた戦国大名・北条氏。西口駅前には北条氏の祖である北条早雲(生前は伊勢宗瑞と名乗った)の像が建てられています。

小田原城は北条早雲が奪取後に大改修を推し進め、戦国時代当時は難攻不落を誇っていました。戦国時代の実力者であった武田氏や上杉氏も、そして豊臣秀吉も小田原城を正面から攻略することはできなかったと伝わります。

戦国時代最大規模の敷地面積を誇っていた小田原城の防御を担っていたのが、城の外周約9kmに渡って築かれた堀と土塁で構成された「総構(そうがまえ)」。まずは小田原市街地を散策しながら総構の形跡を見ていきたいと思います。


傾斜の大きな高台に広がる住宅街を歩いていきます。


総構のラインから少し突出した「城下張出」の跡地。総構に取り付く敵兵を横側面から攻撃できる利点を生みました。城の出入口だったのではないかと考えられています。

住宅地周辺に広がるみかん畑。美味しそう。

総構の内側には城の他にも田畑や武家屋敷が存在しており、自給自足が可能で籠城戦に十分対応できたと思われます。城塞都市と言われる由縁。

写真右側の土地が高く(=土塁)なっており、左側が低く(=堀)なってます。攻めにくく守りやすい天然の要塞は押し寄せた総勢18万の豊臣方軍勢の包囲を寄せ付けず、丸3ヶ月に渡る籠城戦が続きました。

「稲荷森」。土塁と堀の部分がハッキリ分かる、総構の形跡が顕著に残った場所です。

やや狭い農道を歩きます。犬の散歩をしている人も見掛けました。地元の散歩コースのようです。

堀の中を歩ける「小峯御鐘ノ台大堀切 東堀」。迎撃されやすく進軍しにくい地形です。

フォトスポットでもあります。折角なのでカメさんも1枚撮っておきます。

城山公園を通り抜けるとバスが走る一般道路に出ました。手前に小田原競輪場(改修工事中)。遠くには太平洋と小田原城の天守が見えました。


「大久保神社」を発見したので参拝。豊臣秀吉の天下統一後、徳川家康が関東一帯を収めることになった際、小田原城を与えられたのが徳川の忠臣の一人だった大久保忠世。その後大久保一族は改易の憂き目にあったものの、後年再び小田原城主に返り咲いて明治の大政奉還まで小田原城主を務め続けました。

東海道線を跨線橋で渡って東口側へ回ります。続いては小田原城と豊臣方を勝利へ導いたあの城の跡地を目指します。後編に続きます。

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