中越会津横断 乗り鉄の旅を振り返って。(第6回)

おはようございます。カメさんです。

会津・鶴ヶ城を観光中。「会津藩 什の掟」が掲示されています。六と七は守れる気がしないなぁ。さっき鯛焼き食べちゃったしなぁ。

一と二については誤解しやすいですが、年長者(=上の立場の人)の言うことには絶対服従という意味ではないです。まず年長者の立場を考え言い分を一度受け入れること、その上で自分の考えを示しなさいと言ってます。子供の頃からコミュニケーションにおける基本を教育していることが会津の団結力の源だと言えます。ちなみに掟を破ると、周りへの謝罪を求められたり、制裁(しっぺ👈)を受けたりしたそうです。

理不尽なことを言われた時に使ってみたい万能すぎる一言。『ならぬことはならぬものです。』でもなぜならぬのかは、きちんと説明しないとやっぱりダメだよなぁ。

バスに乗ってまた移動。「会津武家屋敷」は時間の都合でスルー。次に訪問したのは「飯盛山」。会津藩・白虎隊の悲劇が起きた場所です。

本参道を歩いて山頂を目指します。

会津藩の正規部隊は年齢別に朱雀、青龍、白虎、玄武隊に分けられていました。白虎隊は16~17歳で構成された部隊でした。

猪苗代湖北西の戸ノ口原にて新政府軍に敗れた白虎・士中二番隊が潜った洞穴があります。


飯盛山から炎に包まれた城下町を見た白虎隊士達19名は、会津の敗北を悟ってここで自刃したと伝えられています。

「さざえ堂」も飯盛山の見所の一つ。堂内は二重螺旋スロープ構造の一方通行となっている世界でも他に例を見ない建物です。

大人になってから改めて中に入ると、こんなに堂内は狭かったのかと驚かされます。堂内には西国札所三十三観音が祀られており、一度入ると巡礼を終えたことになると言われています。

戊辰戦争において会津藩の本営にもなった「旧滝沢本陣跡」も近くにあります。会津藩主・松平容保が白虎隊へ出陣を命じた場所です。

土産物屋に置いてある木刀「白虎刀」で子供の頃チャンバラ遊びをしたものです。こういうのも剣道を始めた切っ掛けだったのかな?よく覚えてないです。



会津若松駅前に戻ってきました。遅めの昼食はやっぱりラーメン。

磐越西線の郡山行快速電車に乗車して、最後の観光地(?)へと向かいます。

最終回に続きます。

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