中越会津横断 乗り鉄の旅を振り返って。(第6回)
おはようございます。カメさんです。
会津・鶴ヶ城を観光中。「会津藩 什の掟」が掲示されています。六と七は守れる気がしないなぁ。さっき鯛焼き食べちゃったしなぁ。
一と二については誤解しやすいですが、年長者(=上の立場の人)の言うことには絶対服従という意味ではないです。まず年長者の立場を考え言い分を一度受け入れること、その上で自分の考えを示しなさいと言ってます。子供の頃からコミュニケーションにおける基本を教育していることが会津の団結力の源だと言えます。ちなみに掟を破ると、周りへの謝罪を求められたり、制裁(しっぺ👈)を受けたりしたそうです。
理不尽なことを言われた時に使ってみたい万能すぎる一言。『ならぬことはならぬものです。』でもなぜならぬのかは、きちんと説明しないとやっぱりダメだよなぁ。
バスに乗ってまた移動。「会津武家屋敷」は時間の都合でスルー。次に訪問したのは「飯盛山」。会津藩・白虎隊の悲劇が起きた場所です。会津藩の正規部隊は年齢別に朱雀、青龍、白虎、玄武隊に分けられていました。白虎隊は16~17歳で構成された部隊でした。
猪苗代湖北西の戸ノ口原にて新政府軍に敗れた白虎・士中二番隊が潜った洞穴があります。
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