日本の歴史探求旅 ~滋賀&福井.etc~(第2回) 

おはようございます。カメさんです。 ⇒前回はコチラ

東海道新幹線停車駅であり、JR東海とJR西日本の境界駅である米原に到着。

近江鉄道のホームへ向かいます。琵琶湖東部の平野部を走る西武グループの私鉄です。

改札にて切符を購入。駅員さんに鋏を入れてもらいます。この令和の時代でもまだ硬券を扱っているんだなぁ。

2025/11/26(初日) 関ヶ原~米原~彦根


車体は琵琶湖をイメージしたブルーに塗装されていますが、車内はワンマン改造が行われたぐらいで西武線で走っていた頃のイメージを残しています。
滋賀県彦根市の大人気ご当地キャラ「ひこにゃん」と近江鉄道のマスコット駅長「がちゃこん」のコラボラッピングも。


近江鉄道の車両基地が併設された彦根駅に到着。ここが次の目的地。



かつて石田三成の居城が存在した『佐和山』を訪れます。

石田三成は豊臣秀吉によって高い実務能力を見出され、豊臣秀吉の死後に五奉行として豊臣政権を担った一人。権力拡大を狙う徳川家康の脅威と豊臣家への強い忠誠心が石田三成に挙兵を決意させます。
朝鮮出兵時において自軍の結束を促したり、大名の減封や改易により増加した浪人を自身の家臣として召し抱えたりといったエピソードが多い、忠義と仁義の人。

彦根駅から北東へ、近江鉄道の線路沿いを歩きます。近江鉄道線はトンネルで佐和山の下を通過します。周辺は閑静な住宅地です。


案内看板に沿って住宅地を歩いて行くと。

ポツンとあった石田三成屋敷跡の碑。それにしてもちょっと寂しい。石田三成は倹約家であり、佐和山での暮らしぶりは非常に質素であったと伝わります。

佐和山城は関ヶ原の戦いの2日後に徳川方に攻められて落城。その後破却されて現存していません。
井伊直政の息子で初代彦根藩主となった井伊直継が琵琶湖近くに新たに築城した『彦根城』の一部として資材が流用されています。


佐和山の残紅葉「散り残る 紅葉はことに いとほしき 秋の名残は こればかりぞと」

石田三成には過ぎたるものといわれた佐和山の城。石田三成もこれと同じ景色を見ていたのだろうか?佐和山は現在ハイキングコースとして整備されており、本丸跡から彦根市街を一望できます。



彦根駅前で遅めのランチ。彦根発祥のソウルフード、煮込み野菜たっぷりの「近江ちゃんぽん」は鼻血の出る美味しさで結構気に入っています。
豚骨白濁スープで太麺使用の長崎ちゃんぽんに対して、醤油魚介ベースの和風スープに中華麺の近江ちゃんぽん。あっさりしてて食べやすい。関東だと食べられるお店が少ないのがネックですね。第3回に続きます。


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