日本の歴史探求旅 ~滋賀&福井.etc~(第1回) 

おはようございます。カメさんです。

2026年度上半期は日本史を振り返る旅の記録をお届けします。今回のメインは滋賀と福井。ちょうど大河ドラマ『豊臣兄弟』も放送中。ゆかりの地が出てくるかも。

東京~名古屋・京都・大阪を格安移動する手段の一つ「ぷらっとこだま」を久しぶりに利用します。

通常運賃より2000~3000円程度お得で、1ドリンク付き。
こだま限定なので各駅停車ですが、それでも名古屋まで約2時間半で移動できます。在来線を乗り継いだり高速バスを利用するのと比べれば時間短縮になる。そして新幹線なので揺れも少なく快適です。

早朝発の列車に乗り、終点まで仮眠タイム。ヘビーな喫煙者でなければおススメの移動手段です。


朝食は名古屋駅ホームにてきしめんを一杯。ここから在来線を乗り継いで移動となります。

2025/11/26(初日) 東京~名古屋~関ケ原

JR東海の新型ディーゼルハイブリッド特急、HC85系に遭遇。特急ひだや特急南紀で現在活躍中。


車社会のイメージが強い名古屋ですが、豊橋~名古屋~大垣間においては新快速が1時間に2本程度運行されています。

大垣で米原行の普通列車に乗り継ぎ。大垣~米原間は山間部を走る勾配の厳しい区間で、冬季には大雪が降ることも。

最初の途中下車は岐阜県最西端に位置する関ケ原駅。徳川家康率いる東軍VS石田三成率いる西軍、合わせて15万の軍勢が激突し僅か半日で雌雄を決した日本最大規模の合戦『関ケ原の戦い』が起こった場所です。


最初からいきなり天下分け目のクライマックス。ということで散策開始。

東海道線の跨線橋を渡ってすぐの場所にある井伊直政&松平忠吉の陣跡。西軍・宇喜多秀家への先制攻撃により、関ヶ原の戦いの火蓋は切って落とされました。


遠くに見える「岐阜関ヶ原古戦場記念館」。2020年に開館されたばかりの綺麗な建物で岐阜県の本気度が伝わります。関ヶ原の戦いに関する史料が常設展示されています。

通路に並べられた「旗印」。戦国武将の家紋や信念を掲げて、その存在を敵味方に対して示す為のものです。関ヶ原の戦いに関わった戦国武将は大小合わせて100を越えたと言われています。


グラウンド・ビジョンを始めとした映像資料も充実(撮影禁止のものも多かったですが)。


戦国体験コーナーでは、戦場で使用されていた日本刀(脇差)や大筒(大鉄砲)に触れることもできます。

戦国武将になりきって記念撮影もできますよ。

最上階の展望室からは関ヶ原を360°一望できます。当時の戦国武将達の布陣の様子が分かります。

関ヶ原古戦場記念館が建てられた場所は、関ヶ原の戦いにおいて徳川家康が最終的に陣を置いた場所になります。

徳川方も、徳川秀忠、本多正純、榊原康政ら主力の一角が関ヶ原に遅参するなど、決して万全な体制ではありませんでした。


それでも関ヶ原の戦いで勝利できたのは戦前の準備力の差。豊臣方で冷遇されていた武将達を巧みに懐柔して味方へと多数引き入れ有利に導きました。過去の大敗から学んでいた家康。戦が始まる前から既に勝敗は決していたのかもしれません。

関ヶ原を歩いて散策。序盤は優勢だったものの、武将の寝返りにより陣形が崩れ不利になった西軍。左奥の笹尾山に陣取っていた石田三成の部隊と最後の決戦が繰り広げられました。


関ヶ原の戦いで伝説として語り継がれる「島津の退き口」。西軍の敗北が決定的となった後、突如島津義弘の部隊が東軍に向けて突撃し敵中突破を敢行。
井伊直政や松平忠吉ら追撃隊を負傷させつつ伊勢方面への逃走に見事成功。島津の力を見せつける形となりました。関ヶ原の戦いの後、島津藩の領土はそのまま安堵され、その後の江戸時代において徳川家と島津家の結びつきは強化されました。昨日の敵は今日の友。

夥しい戦死者も出たと考えられる関ヶ原の戦い。戦国時代の戦死者は敵味方問わず埋葬されるのが当時の慣わし。東西2箇所に首塚が設置され供養されています。

やってきた電車に乗りさらに西へ。次は滋賀県が舞台。第2回に続きます。


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