北区散歩~飛鳥山公園に行ってきたので~

こんばんは。カメさんです。

昨夏から発行し始めた日本銀行券の新紙幣。1000円札に北里柴三郎、5000円札に津田梅子、そして10000円札には渋沢栄一が新たに描かれています。渋沢栄一は埼玉・深谷出身の実業家。2021年の大河ドラマ・青天を衝けの主人公でした。


流通し始めの頃は新札を見掛けなかったので、銀行にて両替して入手しました。例えば三菱UFJ銀行の窓口にて新札に両替してもらう場合、1日1回10枚までなら無料。2回目以降は手数料が掛かります。
ちなみに世の中には2000円札も流通していますが、現在は製造されておらず取扱いのある銀行も限られている模様。


新札&新硬貨に対応してない自動販売機もまだ多いです。今はキャッシュレス決済の方が便利ですね。でも紙幣流通量は年々増加傾向らしい。現金を持っていたい人がまだまだ多いということかな。


東京メトロ南北線の西ヶ原駅へ降り立ったカメさん。東京メトロ全駅の中で最も乗降客数の少ない駅です。

駅近くにある『国立印刷局 東京工場』。この中で新紙幣が作られていると思われます。

日光御成道(岩槻街道)の一里塚が現在も残されています。渋沢栄一や地元住民による保存運動によるものです。車道は塚の両側へ避けるような形になっています。

東京都北区にある『飛鳥山公園』へ到着しました。渋沢栄一が晩年を過ごした地です。

公園内にある『渋沢史料館』を見学します。


入口にも館内にも屋外にも、渋沢栄一の像があります。何でこんなに…。


パネル資料を見ていると徐々にその理由が分かってきます。渋沢栄一の偉業が1年単位で紹介されています。1840~1931年の生涯で残した功績が半端なかった…。

例えば、
・若い頃は尊王攘夷思想に傾いていた時期もあったが、後に一橋家の家臣となり徳川慶喜に仕える。パリ万博に出席するためにヨーロッパへと渡り、資本主義に関する知識を学ぶ。
・維新後に明治政府に出仕し、大蔵省役人として新通貨発行に尽力する。
・民間に下って実業家へ転身。日本初の銀行の設立や民間合本による株式会社の設立や経営に関与。その数は500社以上。製紙・紡績・造船・化学・医療福祉・鉄道・電気・ガス・煉瓦・セメント・ビール・映画⋯etc.あらゆる分野に関わり日本近代化の礎となった。

晩年は徳川慶喜の評価を後世に正しく伝える為に、伝記の編纂(へんさん)にも尽力していました。

関東大震災からの復興の為、義援金を募ることを計画したのも渋沢の功績の一つです。

渋沢栄一の特筆すべき点は『倫理と利益の両立』という信念を貫いたことにあります。利益を独占するのではなく、国や社会全体が豊かなることを常に念頭に考えていたことです。民間人でありながら子爵の地位を得られたのも納得の功績なのです。


飛鳥山には他にも渋沢栄一に関連する建物が現存しています。その一つが『青淵(せいえん)文庫』。華やかなステンドグラスとタイルが特徴です。

書庫としての使用が想定されていましたが、来賓をもてなす場としても活用されたそうです。格調高い内装ですね。

平屋建ての洋風茶室である『晩香廬(ばんこうろ)』。こちらも来賓との応接室として使用されたそうです。

茶室内には暖炉が設けられており、居心地良い空間を演出しています。

カーテンを開けると日本庭園の景色が広がります。

飛鳥山公園内を通り抜けます。遊具の他、都電やSLが屋外展示されています。

訪問した時は時季外れでしたが、飛鳥山は桜の名所の定番でもあります。

飛鳥山山頂のモニュメントを発見。標高25.4m。東京都で最も低い山です。

山頂と麓を結ぶ『飛鳥山モノレール アスカルゴ』乗り場に到着。日中時間帯に無料で乗車できる区民の足。

ゴンドラに乗りレール長48mを2分(≒時速1.4km/H)掛けてゆったり移動。すぐ横には明治通りを走る車や都電の姿が見えます。

降りた先にはJR王子駅の中央口改札があります。

帰る前に腹ごしらえ。王子に来るといつも立ち寄ってしまうカレーショップへ。

ムルギースペシャルを注文 。柔らかく煮込んだ鶏肉と辛口スパイスのカレー。添えられた大根との相性も◎。

信念を貫いて生きた渋沢栄一翁。カメさんも40歳を過ぎた今だからこそ、自分の信念は何なのか今一度振り返りたいと思いました。



コメント