日本の歴史探求旅 ~滋賀&福井.etc~(第7回)

こんにちは。カメさんです。 ⇒前回はコチラ。


福井の観光拠点として選んだのは、国道8号沿いにあるビジネスホテル・ルートイン鯖江。鯖江といえばメガネフレーム👓が特産品。ちなみにカメさんは未だに両目とも裸眼視力1.5以上を維持している。いずれ鯖江メガネのお世話になるかもね。

今日も一日レンタカーで大移動。MAZDA2に乗り込んで出発です。


2025/11/28(3日目) 福井ドライブ前編 ~北の庄城址・一乗谷~


福井の中心部へとやってきました。しかしこの日の天気はかなりの荒れ模様。天気予報が当たりましたね。


最初の目的地である「柴田神社」に到着。織田信長の重臣である鬼柴田こと柴田勝家が築いた北の庄城の本丸跡に建てられています。1583年の賤ヶ岳の戦いに敗れた柴田勝家は北の庄城へと追い詰められます。

ここでも登場するお市の方と浅井三姉妹。賤ヶ岳の戦いの前年に開かれた清洲会議にて、お市の方は柴田勝家と再婚していました。


三姉妹を秀吉側へ送った後、お市の方と柴田勝家は共に自決。北の庄城にも火が放たれて焼け落ちました。

柴田神社に隣接して公園が整備され、福井市街の憩いの場となっています。


そのまま歩いて福井駅前へ。北陸新幹線の他、JR九頭竜線、ハピラインふくい、えちぜん鉄道、福井鉄道が乗り入れる福井の玄関口です。あら、駅前広場にでっかいのがおるな~。

リアルな造形のティラノザウルスが口を開けてご挨拶。ギャー😱

レンタカーで今度は南東へ。足羽(あすわ)川に沿って国道158号線を走ります。

福井平野から山間部に入ってすぐ、JR九頭竜線の一乗谷駅に隣接した場所にある博物館が次の目的地です。


2022年秋にオープンしたばかりの「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」。戦国武将・朝倉氏と一乗谷に関する資料が展示されています。

戦国時代、朝倉氏は一乗谷を本拠地として約100年に渡って越前の地を治めていました。

一乗谷の遺跡調査は現在も続けられており、博物館の地にて発見された「石敷遺構」も保存されています。足羽川からやってきた舟荷の積みおろしをしていた入り江、もしくは荷を運搬するための道路の跡ではないかと考えられています。


戦国時代の一乗谷の様子をミニチュアで再現。足羽川からの水運で物資を運び込んで谷間に築かれた城下町。1467年に起こった応仁の乱で京を追われた公家や文化人が多く移り住んだことから独自の京文化が発展しました。

越前焼の大甕(かめ)が多数見つかっています。飲料水や酒、染料などの貯蔵用として使用されていたと考えられます。


発掘された品からも、一乗谷での暮らしぶりが優雅で文化的であったことが分かります。



朝倉家当主が住んでいた「朝倉館」の一部を原寸再現。室町幕府の将軍である足利義昭を饗応したことでも知られています。水墨障壁画や中庭のある贅沢な作りです。

館の外にも緻密に計算された立派な日本庭園が造られていました。戦国武将である朝倉氏が文化を重要視していたことが分かります。

100年の栄華を誇った朝倉館と一乗谷の城下町も、1573年に織田軍の侵攻を受けて3日間で全て焼け落ちてしまいました。戦国時代の世の儚さを感じさせますね。越前大野へと逃れた5代当主・朝倉義景は自害。朝倉氏は滅亡しました。
その後一乗谷の寺社や商人達は、北の庄城付近へと移住しました。越前の中心が一乗谷から福井駅周辺に移ったのはこの頃だったんですね。

歴史に触れる越前めぐり旅。第8回に続きます。


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