日本の歴史探求旅 ~滋賀&福井.etc~(第6回)

おはようございます。カメさんです。 ⇒前回はコチラ

姉川古戦場から走ってきた道を引き返します。その途上で気になる戦国時代ゆかりの観光スポットに寄り道。ETCカードを忘れたのでずっと下道利用ですが、渋滞もなく快適なドライブでした。


2025/11/27(2日目) 北近江ドライブ後編 ~姉川古戦場→小谷城・賤ヶ岳・金ケ崎~


まず立ち寄ったのは、小谷城跡の麓に位置する「小谷城戦国歴史資料館」。ここには浅井家に関する資料が展示されています。


主に発掘調査にて見つかった貴重な資料が展示されています。大半が撮影禁止だったのは残念でしたが…。

浅井家の本拠地であった小谷城は戦国時代屈指の堅牢な山城。標高495mの小谷山の尾根沿いに数多く作られた曲輪と石垣の跡が残っています。現在は登山道の一部として散策可能。山の上からは姉川古戦場や琵琶湖が一望できます。

浅井長政と政略結婚したのは、織田信長の妹であるお市の方。非常に仲が良かったと言われ、茶々、初、江の3人の娘(浅井三姉妹)を授かっています。
1573年の織田軍の攻撃によって小谷城が落城し浅井家は滅亡しますが、お市の方と浅井三姉妹は救出されて生き残ります。後に茶々は豊臣秀吉の側室に、初は京極家の正室に、そして江は徳川秀忠の継室に。浅井の女は皆強い。


続いて立ち寄ったのは、余呉湖の南側にある「賤ヶ岳(しずがたけ)」。
1583年に起きた賤ヶ岳の戦いは、前年に起きた本能寺の変の後に羽柴秀吉と柴田勝家が激突した織田家臣の主導権争いです。この戦いに勝利して勢いに乗った秀吉は全国各地へ出兵。1590年の小田原の役に勝利して天下統一を成し遂げます。


賤ヶ岳の戦いでは福島正則や加藤清正を始めとする秀吉配下の武将達が活躍。後に賤ヶ岳七本槍と呼ばれて豊臣軍の主力となり、関ヶ原の戦いにおいても戦功を挙げることになります。


賤ヶ岳リフトに乗れば山頂付近まで行けますが、既に2025年度営業終了の張り紙が。

徒歩だと山頂まで1.5km程。日も暮れてきていたのでここでも登山は諦めます。

賤ヶ岳付近から琵琶湖を一望。遠くに竹生島が小さく見えます。これが滋賀県のラストショット。

福井県敦賀市に戻ってきました。敦賀港の貨物駅ヤードは現在廃止されています。見えている線路は廃線跡になります。



旧敦賀港駅の近くにある「金ケ崎城跡」に到着。1570年。京から朝倉氏攻めに向かっていた織田軍一行。若狭から越前へ進軍して朝倉方の天筒山城と金ケ崎城を難なく攻め落とします。しかし…、


ここで浅井長政寝返りの一報が。越前と北近江からの挟み撃ちの危機に陥った織田軍は撤退を決断します。これが金ケ崎の退き口です。

秀吉が殿を務め、明智光秀や徳川家康が後衛を固めて織田信長の撤退を助けたと伝わります無事に京に辿り着いた信長は岐阜へ戻って態勢を立て直し、姉川合戦に赴きます。


山頂の月見御殿から若狭湾を一望。右手の敦賀新港からは、北海道・小樽行のフェリーが運航中。そして左前方に見える敦賀半島には原子力発電所があります。昔ゴジラとビオランテが戦ったのもこの辺り?

あっという間に日も暮れてきました。今夜の宿に向けて移動開始。ここから国道8号をひたすら北上します。


夕食は「8番ラーメン」にて。石川県発祥のチェーン店で国道8号線が店名の由来。野菜たっぷりラーメン(味噌)を注文。


本日の宿泊地は鯖江。温泉大浴場付きで安心安定のルートインにて連泊の予定。第7回に続きます。


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